きっかけ


 
そこには深い森があった……
すべてを隠すかのように暗く寂しく……
最も深い場所に、大切なものを守ってソレは存在していた

聖地には、随所に森が点在していた。
ふとした思いつきで聖地の探索を始めたのは、どこかに潜んでいた好奇心だったのか、無意識の内に発揮された職業病だったのか
常日頃の行動範囲を遙かに抜け出し、聖地の端に存在する一つの小さな森にヴィクトールは足を踏み入れた
その森は、外側から見たよりも大きなもので、木々も深く覆い茂っていた
歩みを進める内に、ヴィクトールは、かすかな道を見つけた
それは、普通ならば「獣道」と呼ばれる類のもの、だが、その歩き易さは、人が踏み固めて出来たものだ
予想以上に深いその森を奥へ進む、この場所に微かとはいえ道が出来る程訪れるものがいる事に対する好奇心だったのだろう
木々は高く深く、道の先を隠す
道をゆるく曲がると突如空間が現れた
開かれた視界、木々の無いその場所は、森の中に生まれた小さな水場だった
水場には、水を飲みに訪れたのだろう森の動物達と共に、水辺に程近い木の根元に座る闇の守護聖の姿
彼の方が手を伸ばせば手を触れられる程の距離で、動物達は休息をとっている
不意に現れた人間に注意をはらう者が無い
暖かな光が降り注ぐ、心地よい暖かさ
むせ返る程だった緑のにおいは、上空から吹き込む穏やかな風と、溢れ出る涼やかな水で中和される
不思議に安らぎに満ちたおだやかな空間
動物達は、思い思いに体を休めている
柔らかな空気が闖入者のはずの俺をも包み込む
森の中から、一頭の大鹿が仲間に加わる
気配に敏感なはずの小動物でさえ、歩み寄る鹿に注意を払わない、まるで、何の驚異も現れる事はない、というかのように………
野生の動物が警戒を怠る事などありえないはずだ
にわかに信じる事ができず、俺は動く事も息を殺す事も忘れその光景に見入っていた
鹿は悠然と歩を進める、動物達もクラヴィス様も当たり前の事のようにそれを受け入れている
ありのままを受け入れる……それは、クラヴィス様の日頃の態度だ。だが、それとは違う、俺の長年の感が告げている
あれは、あの態度は「起こって当然、そうなることが当たり前」そういった類のものだ!
これから起きる事に感心が無い訳ではない。これから起きる事を知っているのだろう。この場所は危険ではない事も知っている。この場所に驚異となるものが現れないこともまた確信している
当たり前の事が起きて驚くものはいない
俺も同じように認識されているのだろう
もしかしたら、この場所には現れたその瞬間にどんな動物でも無害なものになるのかも知れない
軍に在籍し、こんな時でも警戒を弱める事のなかった、俺にさえそう信じさせる安心感がここにはある
動物達にとってきっと俺は仲間なのだろう。見たことの無い奴が来たとは思っても、何事もなく当たり前の事として受け入れられた
だが、クラヴィス様にとってはどうだ?俺という存在は、あり得ない事実ではないのか?
不意に、クラヴィス様が、地面から何かを拾い上げる。おとなしく膝の上に抱き上げられたのは、小さなウサギ
警戒心が一番強いのは、小動物だ
俺の存在を気づかせてはならないとというのに、心地よい気配につられるように足を一歩踏み出していた
見ることが出来たのは、小さな生き物達が、クラヴィス様の周りに寄り添うように集まっている光景
まるで、昔読んだおとぎ話の一場面を見ているようだ
子供達が憧れる幸福な場面……
見ているだけで幸せな気持ちになれる。なれない仕事での精神的な疲労が癒されるようだ、心が安らぐ………
ん?安らぐ?
包み込むような安らぎの力、すべてを任せられる気がするそんなの安心感。その力の中心にいるのは、クラヴィス様じゃないのか?
そうか…これがクラグィス様の力……
動物達が、クラヴィス様の元へ寄り添うように集まることも納得できる
一頭の牡鹿がクラヴィス様の元へと擦り寄って行く
これが本来のクラヴィス様の力なのだろう、「人々に安らぎを与える」それは闇の守護聖の力だと教えられた
伸ばされたクラヴィス様の右手に、首筋を絡め甘えるように何度も擦りつける
だが、これまでクラヴィス様と共にいて、一度もこんな感覚を味わった事はない
穏やかな気の張らない時間を過ごした事はある。だが、今のこの状況は、本質が明らかに違っている
動物達を見つめる眼差しは、暖かくやわらかい
こういうものを慈愛の眼差しというのだろうか……
俺に、俺達に向けられる眼差しとは、まるで色合いが違っている
何もかもを見透かす様な、冷たく無感情な瞳……
全てを包み込む様な、暖かく優しい瞳……
そう、これは穏やかな夜の眠りに似ている
今のクラヴィス様からは、常に一線を引くような、人が近寄る事を拒むかのような独特の雰囲気が感じられない
表情は柔らかく、優しく、やがてゆっくりと微笑みを浮かべる
見て取れる程のはっきりとした感情の動き、表情は豊かに変化していく
軽やかな笑い声が聞こえた気がした
ああ、そうか………
不意に気がついた
動物には、特に小動物には、人間の優しさを引き出す力不思議な力があるという
クラヴィス様が向ける感情も自然に溢れ出る力もそんな動物だから引き出す事ができたのかもしれない
気づかれる事がないように、そっとその場を離れた
思わずため息が漏れる
クラヴィス様の様子が意外だったからという訳ではない。確かに、多少驚きはしたのは事実だ、だが…
クラヴィス様の司る力は「安らぎ」
あの動物達に向けられたあの光景は、クラヴィス様の力の本質にあまりにも近すぎる
司る力は、本人の本質に深く影響を及ぼすというならば……
あの光景の意味する所はあまりにも明白じゃないか?
俺に対し向けられていたそれは、人が抱く闇へのイメージに似ていた
「闇」とは、近寄り難く、恐れを感じさせるもの……
 

さえ渡る月の下、光に導かれるように、ヴィクトールは散歩に出ていた
雲一つない夜空には星が見える
俺が覚えている星空は違う星が見え、星座は俺が知らない形をしてのだろう
それでも、想い出を呼び起こすには充分だ
友人達の顔が思い浮かぶ……
懐かしさと、辛い気持ちが混ざりあい心がざわめく
決して忘れない、いや、忘れてはならない記憶と向き合いながら夜の聖地を目的も無く歩き続ける
それでも、以前より辛くはなくなったのは、時間のせいなのか、それとも………
銀色の月光が突き刺すようにふりそそぎ、星はおだやかに輝いている
いつのまにか、庭園にたどりついていた
日中の喧噪とうってかわり、人気の無い庭園は静まり返っている
月の光は弱く微かに夜の庭園を照らし出す
穏やかな気候が身体を柔らかく包み込んでいる
ここはあの場所とはあまりにも違う
それでも、過去に抱かれ、思いにとらわれたまま歩き続ける
それ故にか、俺は人の気配に気づかなかった
視界の隅に映った人影、僅かな気配……
俺は慌てて振り返った
「クラヴィス様……」
夜に紛れるようにして闇の守護聖は俺を見ていた。見ていたのだろう……
「珍しいこともあるものだな」
声からは何の感情も伺えずその瞳には何の感情もあらわれない
俺とクラヴィス様とでは最近ようやく声を掛ける程度の親交を持ったばかりだ
それでも、俺がこの時間に出歩いた事などないなどといった情報は、手に入るのだろう
「クラヴィス様は…散歩でしたか?」
クラヴィス様からは何の返事も返ってこない
いくら待っても言葉は返らず、その変わりに夜の瞳が俺の方へと向けられている
その瞳からは、背定も否定も読みとる事が出来ない
無機質な瞳……これでは、答えを読みとる事など不可能だ
それとも、わかりきった事はいちいち答えたくはない、とでもいうのだろうか?
そう言えば、クラヴィス様は、昼のかわりにもっぱら夜に出歩くと誰かが言ってはいなかったか?
だが、たとえどんな理由があるにしろ、こういった態度は誉められたものではない
心地よい夜の風が通り過ぎる
深淵を映すかのようなその瞳は、どことも知れない中空に向けられる
もしかしたら、俺には見ることの出来ないモノを見ているのかも知れない 気まずいような気持ちを抱えながら、更に二言、三言話した
俺が話す差し障りのない言葉に気まぐれのようにまれに言葉が返ってくる
当たり障りの無い日常会話だ
会話を続ける間もその表情は終始変わることが無く、感情が表れやすいはずの瞳にも何も浮かばない
神秘的………たぶん、こう読んで差し支えないだろう
感情が現れないその姿は、人間味が極端に薄いのだから
無機質な瞳は、当たり障りの無い無意味な会話以外何も受け付けようとはしない
それでも、たとえ言葉数が少なくても、話相手になることを放棄はしなかった
何故、俺がここにいるのか、何も聞かないし、何も言わない
そんな事はねクラヴィス様にとっては、どうでもいい事なのかも知れない、それでも俺にはそれがありがたい
会話とも呼べないこんなやりとりは、今夜のような少し感傷的な夜には最良のものなのかもしれない
相変わらず、近づく事を拒む様な無言の雰囲気を漂わせてはいる
クラヴィス様自ら会話を進めることも無い
だが、それでも俺の気を紛らわすのには充分だ
なんとも不思議な時間が過ぎて行った……
夜の風が身体を冷やす頃俺は、クラヴィス様とわかれた……


むせ返る程の緑のにおい……
ヴィクトールは、森の入り口に立つ大木から身を離した
「さて、どうしたものか……」
森の奥の水辺には、まだ安らぎに満ちた優しい空間が存在するのだろう
そして、その源となる人物もまた、その場に……
気がついた以上知らぬふりを決め込む事など出来ない
あれが本来のクラヴィス様の姿だとしたら?
良い友人関係を築かなくてなるまい
動物達とある時にのみ本来の自分を解放できるのだというのならば……
それは、人に対して『無関心』だと言うのではない……
あの方は、人を信用する事を恐れている
人と関わりあわなければ、裏切られる事も無い
だが、それでは、あまりにも寂しすぎはしないか?
暗い孤独の闇の中から抜け出すきっかけを俺は作ってみよう
それは……きっと、俺自身の為にもなるはずだ………

そこには深い森があった……
すべてを包むかのように優しく、暖かく……
最も深い場所に、大切なものを守ってソレは存在していた

 
END
 
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